【育児考察】息子の一人称使用の変遷とその成長について考える。
小学2年生男子を育てているずぼらでのんびり田舎暮らしによる育児考察です。
育児とは、いやはや面白いものですね。
まったくの泣いておっぱいをすうだけという「赤ちゃん」だった存在から、まあ、もう生意気になったこと。
まあ、泣く、おっぱいをすう、というのは、赤ちゃんの一番最初で根本的な自己主張なんですよね。
そして思ったのが、息子が自分を呼ぶ呼び方が、成長とともに変わってきているということ。そして、それには言語と社会、および社会性についての気づきがあるなあとふと思いまいました。
日本語には、一人称がたくさんあります。英語だったら「 I(アイ) 」のみ。
それに対して、ぼく、わたし、あたい、俺、そして、今は使わないけれども、拙者、それがし、など。
そして、この1人称というのも、年齢、性別、立場によって使い分けられています。いい大人が、例えば「ぼく」なんて使っていたら、おいおい、どこの「ぼく」様だよ~って思います。
さて、それでは、本題の息子の一人称の変遷です。
1 〇〇くん時代
息子は言葉を話すのが遅かった方です。2歳1か月から、私が育休復帰ということで保育園に預け始めました。その際に話せていたのは、1語文のみです。
預け始めてから、息子は〇〇くんと自分のことを呼ぶようになったように記憶しています。
これは周りから〇〇くんと呼ばれていたから〇〇くんというようになったのだと思うのですが、息子が自分のことを「〇〇くん」と言った時は、なんだか感動した覚えがあります。
「自分」というものがわかったんだなあと。
2 「僕」時代
これは、年少さんにはいってしばらくした頃です。息子の言葉は、夏ごろまではどちらかというと言っていることはわかるんだけれども、まあなんだかちょっとわからないあよなあ、という状態でした。が夏以降からぐんと話す能力が増え、そしてこの前後で「僕」を使うようになりました。周りも僕とか使っているからそれを真似したのかなあ???
ああ、年少さんになると「僕」なんて使うようになるんだなあと思ったものです。年少さんになってから、ぐっと成長したなあと感じることが増えました。
3 ちょこっとあった「俺」時代
幼稚園時代の後半、年長さん時代ぐらいに、ちょこちょこでてきた「俺」。
これは、何かちょっとかっこつけて自分が言いたいときなんかに使っていたように思います。周りの子に感化されたのかなあ。年長さんとなると随分周りの子もしっかりしてお兄さんぽくなりますよね。
ちびのくせに、ぷぷぷ、なんだよ、「俺」なんか言って~、強がってるなあ、なんて思ったような記憶があります。
4 そして、現在は・・・・「おいら」と使い分け時代
息子の一人称は、成長とともに変わってきていたのですが、ふと気づいたのが今使っているのは、「おいら」。
何故、「おいら」なの???どこで知ったのその言葉、って感じです。
ですが、「僕」も使っているようです。まあ、使い分けているのかなあ。外(小学校)と内(家庭)で。ですが、この使い分けているというところが、面白いなあと。
私にたいしては、「おいら」をよく使っています。
でもまあ、「おいら」ってなんか芋っくさいというか、田舎っくさいというか・・・・
まとめ
ということで、息子は、自分の認識の「〇〇君」から、社会(幼稚園)の中での「僕」、そして、社会(小学校)と家庭での使い分けの「おいらとの併用時代。」
いずれにしても、息子の一人称が、息子の精神的な成長と社会とのかかわりで変わってきているのが面白いです。
以上ずぼら的簡単考察でした。
(この件に関しては、言語学的にもおもしろいので、もうちょっとまた別の機会で掘り下げていけたらいいなあ)